砥上裕將『線は、僕を描く』【読書で世界を広げよう】

水墨画に触れる芸術の秋

天高く馬肥える秋……秋と言えば、食欲の秋、スポーツの秋、読書の秋、、と何をするにも気持ちが良い季節ですね。

今回は芸術の秋をテーマに本を紹介します。芸術というと、美術館やコンサート、映画など五感の中でも視覚や聴覚から受け止めるものが多いように思いますが、敢えてBGMも挿絵もない本を通して芸術に触れることで感性が刺激されることがあります。

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『線は、僕を描く』

『線は、僕を描く』は水墨画の世界を描いた作品です。

家族を失って深い喪失の中にいた大学生の霜介は、たまたま引き受けたアルバイト先で水墨画と出会います。
成り行きで水墨画の巨匠・篠田湖山の弟子として水墨画を始めることになるのですが、描こうとする森羅万象に向き合い、どう受け止めたかがそのまま出る水墨画は、霜介の生きる意味を探す手助けになっていきます。

両親の死の悲しみの中で、何もない場所に閉じこもり、真っ白になってしまって消えてしまうようなところから、絵を描くために心を開き、外の世界に出ようとする姿には勇気をもらえます。空っぽで真っ白だった霜介の心に、少しずつ色が戻ってくる、そんな再生の物語です。

夢中になるものとの出会い

『生きているその瞬間を描くことこそが、水墨画の本質なのだ』
『人は描くことで生命に触れることができるのだ』

大学の学園祭イベントとして揮毫会があり、湖山が畳二畳もの大きさの紙に向きあう姿をみた霜介の言葉です。この気づきをきっかけに、水墨画への思いを一層強めていきます。

偶然を自分のものに

夢中になれるものへの出会いはどこにあるかわかりません。人との偶然の出会い、たまたま訪れた場所で見たものなど、様々なところにきっかけは転がっています。それでも新しいことに踏み出す時に周りと比べてしまったり、出来栄えばかりが気になってしまったり、、子どもでも大人でも新しいことへの楽しみ半分、不安半分の気持ちはありますよね。

霜介の場合は、ライバルとなる湖山の孫の千瑛をはじめ、水墨画を通して出会った周りの人々との心のやりとり、そして彼が持っていた素直さが色々な偶然を自分のものにしていったのだなと感じました。

湖山の言葉に「才能やセンスなんて、絵を楽しんでいるかどうかに比べればどうということもない」というものがあります。これから1歩を踏み出す人へのエールとして受け取りたい一文です。

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水墨画を文字で鑑賞する

筆の先から生み出す「線」のみで描かれる水墨画において、本のタイトルにもある「線」はまさに命。たった1本の線にはその人そのものを写し出すと語られます。

読んでいる最中ずっと、読書をしているのに絵を鑑賞しているような、なんとも不思議な感覚になりました。水墨画の世界を言葉だけでこんなに豊かに表現できるなんて、と。紙と墨、白と黒のモノクロの作品のはずですし、文字が並んでいるだけなのに、読み手の頭の中には鮮やかな薔薇や椿の花の赤が見えるのです。描いている最中の描写にいたっては、墨の香りや紙の上を筆が走る音までありありと浮かびます。

伝統文化、ホンモノに触れる一つのきっかけに

作者の砥上さんは、水墨画家としても活動されています。水墨についての深い理解と思いが、言葉の隅々まで行きわたるような文章や表現を生み出したのだろうなぁと感じます。私自身もですが、この本に出会わなければ水墨画の奥深さを知ることはなかったかもしれません。伝統文化、ホンモノに触れる一つのきっかけになればと思います。

大学生が主人公ではありますが、綺麗な文章を情景を思い浮かべながら読む体験に早すぎることはありません。水墨画に詳しくなくとも、本物を見てみたいと思わされる、柔らかな余韻に包まれる1冊です。

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