いかに他者と関わるかを考えるときのキーワード
今回は「利他」という言葉についての本を取り上げたいと思います。紹介する『「利他」とは何か』は2021年3月、世界中がコロナ禍の危機に直面する中で出版されました。
中学入試でも注目の一冊
昨今の中学入試では、相手の立場に立って考えることの大切さを述べた説明・論説文が数多く出題されています。
元々普遍的なテーマではありますが、今後の中学入試においても注目されるキーワードの一つとなると思われます。
「利他的」は「利己的」の反対ですが……
利他という言葉は、小学生の子どもたちにはなじみの薄い言葉です。
この言葉をテーマにして子どもたちと話すときには、反対の概念である利己という言葉を持ち出して説明をします。
たしかに、「利他的」という言葉を辞書で引くと、「まず他人の利益や幸福を考えること」と記されています。
「利他」は道徳的で良い考え方なのか
しかし、とても道徳的で良い考え方であるように見えるこの言葉に、筆者の伊藤さんは疑問を投げかけます。
自己犠牲を伴う「利他」が他者を縛る
利他の思いを持って人のためにと考え、行動をすることに、自己犠牲を伴うようなイメージはないでしょうか。伊藤さんは、『他者のために何か良いことをしようとする思いが、しばしば、その他者をコントロールし、支配することにつながると感じていた』といいます。
善意が、利他的な行動をする人と、それを受ける側の人の間の壁となって立ちはだかるのです。
きっと感謝されるだろうと勝手に見返りを期待したり、こちらがこれだけやってあげたのだからこのくらいすべきだ、などと相手に求めたりしてしまいがちです。
その振る舞いは共感の感覚が伴うものなのか
また、利他的な振る舞いをする際に、共感の感覚が伴うものなのかどうか、ということも利他を考える上で大事なポイントとなるそうです。自分が共感できる人に向けてだけの行動で良いのかどうか、ということです。共感できたから、「やってあげる」というのは果たして利他といえるのか、考えさせられます。
行動する側の思いは「思い込み」に過ぎない
そして「相手に何かをしてあげることが、相手の利になるだろう」、という「行動をする側の思い」は、あくまでも思い込みであることを分かっていなければならないと感じます。本当に相手のためになるのかをじっくり考え、自分の思い通りにならない可能性があることを踏まえておく。その余白、余裕のことを、章のタイトルでもある『「うつわ」的利他』という言葉で表しているのです。
中島岳志『思いがけず利他』
利他の概念は、多くの研究者からのアプローチを読むことで、より深まるように思います。利他に関係するいくつかの本にあたり、小学生に説明するのにしっくりくるエピソードを見つけたのがこちらの1冊でした。
『思いがけず利他』は東京工業大学における「利他プロジェクト」に参加されている中島岳志さんの単著です。中島さんは、先に紹介した『利他とは何か』でも第二章を担当されていますが、本書は宗教や哲学なども交えて、たくさんの具体的エピソードを交えて、利他について語られています。
相手がそう感じた時に初めて利他となる
「あなたのために」と、向けられた言葉を聞いたからといって、その言葉がすぐさま受け取った人の利となるとは限りません。言葉を差し出されたれた時から、受け取る時までに大きな時間差があることがあります。
このことについて、筆者の中島さん自身のエピソードとして、「昔、先生が言ってくれた言葉が、当時はピンとこなかったが、その後自分に大きく影響を与えている」というものが載っていたのです。
「あの一言に救われた」は、相手がそう感じた時に初めて利他となるというわけです。差し出した時点での見返りを期待して行うものではないこと、未来のどこかの時点で、「あの時のあの言葉がありがたかった」というふうに、相手側に気づいてもらうもの。このエピソードが載っている3章は、一度利他という概念に触れたことがあれば小学生であっても読めるのではないでしょうか。
せっかくの中学受験という機会を
中学受験生でなければ、おそらくこれらの「利他」を扱った本に小学生のうちに出会うことはあまりないと思いますし、「利他とは?」という問いは、簡単に答えにたどりつきません。
難しそうだからと敬遠せず、せっかくの考える機会を逃さぬよう、親子で話し、手に取ってほしいと思います。