見えにくい困難を抱える子どもたち
今回は、目に見えにくい困難を抱える中学生たちを主人公にした連作短編集を紹介します。同じ中学校に通う2年生たちの中で、語り手となる人物を変えて5つのお話が入っています。
学校という狭い世界の中で
1話目の主人公、石崎ひすいは文字を読むことが苦手です。
読み書きに困難を感じる障害である「ディスレクシア」は学習障害の一つで、学校という場面では大きなハンディキャップとなってしまいます。タブレットでの学習の機会が増加したとはいえ、学校でパソコンでノート取るなどの合理的配慮が、「特別扱い」になるとの理由で認めてもらえない場合もあるようです。
自分の物差しでしか評価しない大人たち
ひすいのクラス担任の角野先生は、親の評価や世間体を優先し、子どもたちに向き合おうとしない先生として書かれています。
先生の期待通りに動かないのは困った子、先生が求めるわかりやすい結果を出してれば良い子。大人になってみれば、角野先生のような先生が良くないことはわかりますが、子どもたちにとって、学校の先生というのは絶対的な存在です。
角野先生が熱心に進める読書活動は、読んだ本について読書カードを書くことを義務付け、提出した数を競うものでした。でもひすいは1冊の本がなかなか読み終わらず、カードを提出できないことで辛い思いを抱えてしまいます。
自分の物差しでしか評価しない大人たちの言葉、良かれと思ってかけられたアドバイス、そんな言葉によって周りの人と同じようにできないことに対する焦るひすいの姿に胸が痛くなります。
隣にいる困っているかもしれない「きみ」に気づく物語
他のお話でも、角野先生をはじめとする「周り」の言葉、態度で悔しさや辛さを抱える子どもたちが出てきます。そして、すべてのお話がハッピーエンドで解決するわけではありません。
「生きやすい社会」とはどんな社会なのか
それでも、一人ひとりが自分と、友だちと、周りの大人と向き合い、少しだけ前に進んでいく様子に勇気をもらいます。誰もが辛さがなく、生きやすい社会について考えさせられます。
「大した事じゃないよ、気にしなければいいよ」と励ましのつもりで伝えた言葉は、その人にとっての励ましの言葉になっているかどうかは分かりません。もしかしたら、相手の考え方、感じ方や相手自身を否定されているように感じられてしまうこともあるかもしれません。
相手のことを本当に知りたいなら「きみの存在を意識する」
学校は、多様な中学生が同じ時間を過ごす場所。そして、集団の中では見ようとしなければ見えないことばかり。怠けているからできないのでは、と考えてしまうとその子の困り事には気づくことができません。
相手のことを本当に知りたいと思ったら必要なのは、タイトルの通り「きみの存在を意識する」 こと。
隣にいる友だちが、もしかしたら何かの困りごとを抱えていたたりするのかもしれない、辛い気持ちになっている人がいるかもしれないと想像すること。この本を通して少しでもそんな気づきを得る子がいたらいいなと思います。
本を読んだ「誰か」の救いに
この本を読む子どもたちの中には、もしかしたら自分が当事者であることに気づいていない子もいるかもしれません。
学習障害という言葉をそのときはじめて知ったわたしに、
障害という言葉の強烈さは、そう簡単に受け入れられることではなかったのだ」
3話目の主人公の心桜が、小学生のときに学習障害の本を読み、手書きで字を書くのが極端に苦手な自分がそのなかに含まれているということを知った場面です。ふつうの小学生、と思っていた自分が治し方のわからない障害という特性を持っていたということに大きなショックを受けます。
作者の抱えてきた困難さに基づくリアルな心情描写
中学生になり、ようやく自分なりに向き合えるようになり、国語の追試はパソコンを使って答えさせてほしいと「合理的配慮」を求めるのですが、担任の角野先生に認めてもらうことができません。
あとがきでは、作者の梨屋アリエさん自身が、ご自身が子どもの頃から抱えていた自分の困難さを語ってくれています。作品中の主人公たちのリアルな心情の描写は、梨屋さんの抱えてきたものでもありました。
「合理的配慮」は社会に参加するための「工夫」
合理的配慮という言葉についても触れ、限られた特定の人に配慮すること、それが特別扱いになってしまうという空気よりも、人それぞれがその人らしく、社会に参加するための「工夫」として捉えるようにしてはと提案されています。