絵と物語が織りなす、鍛治職人と少年の静かな交流:『親方と神様』

珠玉の短編に素敵な絵がつきました

梅雨に入り、なかなか気分も上がらないこの時期。今回は、絵と共に楽しむことができる本として、あすなろ書房から出ている伊集院静さんの「親方と神様」をご紹介します。

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挿絵が素敵な本だからこそ、紙の書籍ならではの楽しみ方をしてほしい

伊集院さんは、少年をテーマにした小説をいくつも書かれていますが、こちらの短編は絵を合わせてもたったの56ページ。めくっていくと、どの絵も落ち着いたトーンで描かれていて、くすんだ色の醸し出す静けさがある中で、なぜか暖かさも感じます。

昨今は電子書籍でも読めてしまう本が多いけれど、やはりこういった挿絵が素敵な本は、紙の質感や光による陰影も含めて楽しんでほしいなと思います。

鍛冶職人に憧れた少年

舞台は戦後もない昭和の時代の中国地方大山の近くの小さな町で、主人公は12歳の少年です。

まだどこの場所にも鍛冶屋があった時代、人生の大半を鋼と火だけを相手に過ごしてきた鍛冶職人の六郎の元に、ある年の夏に少年がやってきて仕事を見せてほしいと頼みます。

六郎は、毎日飽きもせずに自分のところに通う、純粋でひたむきな少年の姿に心動かされ、お互いに多くは語らずとも次第に心を通わせるようになります。

少年の願い、教えの系譜

少年は夏休みがおわり、学校が始まっても六郎の仕事場に来るのをやめませんでした。しかし、中学に進学せず鍛冶屋で修行をしたいという少年の願いを、周囲の大人は許してくれません。

反対する親や学校の先生に、少年を説得して欲しいと頼まれた六郎は、鍛冶屋として今まで50年、一度も止めたことのなかった竈の火を止めて、少年を山に誘います。そして2人で山に入り、自らの鍛冶職人としての半生を振り返りながら、自分自身も親方から伝えられた話を少年に聞かせます。

老人が伝えたかったこと

「玉鋼と同じもんがおまえの身体の中にもある、玉鋼のようにいろんなもんが集まって一人前になるもんじゃ。鍛治の仕事には何ひとつ無駄なもんはない。とにかく丁寧に仕事をやっていけ」

六郎は、同じ場所で自分が親方からもらったこの言葉を反芻しながら、少年に玉鋼の元となる小さな砂鉄の一粒に触れさせます。

「どんなに強い刀も、この砂鉄の一粒が生んどる」

雄大で豊かな山の自然の中で、ぽつりぽつりと少年に向けて話す言葉には、親方の愛情が感じられます。

人生で大切なことを教わる経験

人生で大切なことを教わったな、と後になってから言える出会いは一生のうちに何回あるでしょうか。

これからどんな人生になろうとも、どんな仕事につこうとも小さな積み重ねこそが力になる。少年が、親方の言葉、背中から感じたものは、現代の暮らしの中ではなかなか得がたいものばかりです。

「人の成長」とは、「人を育てる」とはどのような営みなのか

小学生には少し早いようにも感じるテーマですが、自分の仕事に対する使命感やプライド、何かに向き合って真摯に生きることについて、何か感じるところがあればと思います。

2人の過ごした時間は、長い長い人生の中のほんのひと時、数か月の物語です。この場面の先でおそらく親方と少年の人生が交わることはなかったでしょう。人の成長とは、人を育てるとはと考えさせられます。

「励め=生き続けろ」のメッセージが伝わるように

本作は、2009年の短編集『少年譜』の一つとして書かれたのちに、単行本となったものです。そのタイミングで最後の部分に大幅な加筆がほどこされました。

あらすじを詳しくは記しませんが、伊集院さんの「励め=生き続けろ」というメッセージがより伝わるように、と加筆することを選ばれたそうです。

子ども時代に出会い、再読の楽しみを

私はこの本に大人になってから出会いましたが、子どもたちには、ぜひ今の時期に出会い、大人になってもう一度読み返してほしい、そんな1冊です。

決して難しい言葉で書かれているわけではありません。子ども時代に読むからこそ、そんな再読の楽しみが増える本です。

中学入試の問題の出典にもなりました

ちなみに本作も、以前に紹介した『二番目の悪者』と同じく、芝中の入試問題として扱われています。

数十ページに貫かれた、深く考えさせられるテーマ

どちらにも共通するのは、たった数十ページでありながら、本全体に貫く深く考えさせられるテーマのある物語であること。難関校だからといって読むこと自体に苦慮するような難しい文章ばかりが出題されるわけではありません。

校風を合わせて考えたときに、入試問題を通してこの文章に向き合って、何かを感じ取ってほしいという学校からのメッセージです。

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