「この夏」を書いた物語
7月に入り、日差しの強さにいよいよ本格的な夏の到来を感じます。4年前、社会全体がコロナ禍の真っ只中にあった2020年の夏を覚えていらっしゃるでしょうか。今回紹介するのは辻村深月さんの『この夏の星を見る』です。
一度きりの夏に子どもたちが感じていた複雑でやるせない思い
一度きりの2020年の夏を舞台にした物語において、コロナ禍にある子どもたちを書くことについて、とあるインタビューにて辻村さんはこう語っています。
まさに、日本中の子どもたちがあの時期に感じていた、複雑でやるせない思いを掬いあげて言葉にしてくれているなと感じます。
離れていても、空でつながる
この年の春からのコロナ禍で、学校生活も多大な制約を受ける中、天文活動を通じて交流する日本各地の中高生たちが主人公です。
茨城の学校で天文学部に所属する高校生の女の子、東京・渋谷の中学校で、学年ただ一人の男子という環境に戸惑う男の子、長崎の五島で実家が旅館を営んでいる高校生の女の子といった3人を軸に、それぞれの土地で物語が進んでいくのですが、辻村さんが「今の子ども」を書こうとしたという通り、悩みを抱える様子がとてもリアルです。
終わりの見えない「自粛」の中で
長崎の五島にある旅館の娘・円華は「都会からの客を旅館に泊めている」と噂され、島の中で居心地の悪い思いをしていたり、都会のど真ん中に暮らす真宙は学校自体に楽しみが見いだせず、ずっと学校が休みだったらと願ったり……。茨城の高校に通う亜紗は、天文部を目当てに高校を選んだのにも関わらず、楽しみにしていた合宿や天体観測の活動がなくなることとなり、ショックを受けます。
終わりの見えない「自粛」の中で、あの時期特有の空気が感じられるエピソードが並びます。
そんな別々の土地で過ごす彼らが、周りの理解ある大人たちに助けられながらオンラインを通じて繋がります。
終わりの見えない閉塞感と逆境の中で「この夏」に賭ける
中盤の「第3章 夏を迎え撃つ」では、茨城と渋谷をつないでのオンライン会議にて、亜紗たちが真宙たち中学生に一緒に望遠鏡で星を見るスピードを競う「スターキャッチコンテスト」をやってみないかと誘う場面があります。
画面の向こうから風が吹き抜けた――気がした。」
コロナ禍の間は、だれが悪いということはないのに刺々しい空気があったり、終わりの見えない閉塞感を感じていたりしました。そんな閉塞感と逆境の中で、「この夏」に賭け、動き始めようとする彼らの強さと可能性を感じる、印象的な場面です。
この夏にしかなかったものがある
離れた場所をオンラインでつなぎながらスターキャッチコンテストを行うこととなり、子どもも大人も関係なく、一生懸命になってやりたいことに向かう姿、ままならない日常に揺れる姿に「そうだよね、苦しかったよね」と胸が詰まります。
同じように「もどかしさ」を抱える大人たち
彼らの気持ちの強さ、行動力あってこその物語ではありますが、同じようにもどかしい思いを抱える大人たちの支えあっての活動でもありました。実際に会えなくとも、メールやオンライン会議を活用して、遠く離れた学校同士で連携を取るうちに、大人たちの関係も深まっていきます。
亜紗がこぼしたこの言葉を受けての顧問の綿引先生の思いは、まさに多くの大人たちの思いです。
たしかに無くしたもの、奪われたものはありましたが、あの夏、あの年にしかなかったものもあったはずです。子どもたちの夏は一瞬ですが、「失われた時間」などと簡単な言葉でまとめてしまうにはもったいないくらい濃い時間を過ごしています。
こうして2024年の夏を迎えられることに感謝し、瞬く間に過ぎる時間を大切に過ごしてほしいと思います。
辻村作品の楽しみ方
実は辻村さんの作品は、どの作品も単体で完結してはいるのですが、登場人物が作品をこえてリンクしていることがあります。読んだ作品同士、登場人物同士がつながっていることが分かった瞬間の高揚感は、読書の醍醐味ではないでしょうか。
もしも 2014年発刊の『家族シアター』をまだ手に取っていないようであれば、この中の短編「1992年の秋空」をぜひ合わせて(できればこちらを前に)読むことをおすすめします。強く記憶に残る読書体験になることをお約束します。