色褪せないドイツ児童文学の名作たち
八月も半ばを過ぎ、暦の上では立秋を迎えたとはいえ暑い日が続いています。先月、7月のコラムでは、各出版社の夏の文庫フェアを紹介しましたが、書店を覗いてみると様々なフェアが展開されていることに気づきます。
今回は夏の岩波少年文庫フェア2024「ケストナーとドイツの作家たち」のラインナップから、ドイツ文学の名作、エーリッヒ・ケストナーの『飛ぶ教室』を紹介します。
30以上の言語に翻訳され、時代を超えて愛されているケストナーの代表作
「飛ぶ教室」の舞台は、ドイツの小さな町にある、10歳から18歳の少年たちの通う、男子だけの寄宿学校です。「飛ぶ教室」というのは、主人公たち5年生が練習しているクリスマス劇の題名で、劇の準備する5人の少年たちの数日間に起こる出来事が描かれています。
これまでに30以上の言語に翻訳され、時代を超えて多くの人々に愛されているケストナーの代表作です。中学受験の大手塾のテキストにも採用されているので、子どもたちはどこかで部分的に触れていることがあるかもしれません。
背景を知ることで見えてくる作者の思い
貧しい家庭に育ち、二度の世界大戦を体験したケストナーは、時には皮肉を交えながらユーモアたっぷりに、子どもたちのためにたくさんの作品を残しました。
混乱の最中にあった1933年のドイツ
この作品が発表された1933年のドイツは、第一次世界大戦の敗戦、世界恐慌などの影響によって混乱しており、ナチスが急速に勢力を持ち始めた時期にありました。
個人の思想、文化にまで強く支配、制限を及ぼす政治の中で、信頼、友情、愛をテーマとしたケストナーの作品は注目を集めたといいます。こういった作風は、当時のナチスドイツの軍国主義の考え方とは合わず「飛ぶ教室」が出ることになる年には、ほとんどの著書が焚書の憂き目にあい、二度の逮捕を経て執筆も禁じられていました。
焚書の憂き目を乗り越えて出版された『飛ぶ教室』
それでもケストナーは「自分の今できることを」と、ナチスの弾圧に屈することなく無言の抵抗を続け、、作品を書き続けました。前述のようにドイツでの出版が禁じられていたため、「飛ぶ教室」はスイスにて出版されることとなりましたが、この個性的でいきいきとした少年たちの物語は当時の人々に希望を与えたに違いありません。
個性豊かな少年たち
この本の一番の魅力は子どもたちの個性豊かなキャラクターにあります。
学年一の秀才で美術の才能があるマルティンは、父親が失業中でクリスマス休暇に帰省する費用もままならないほど。親に捨てられ乗っていた船の船長に拾われた天涯孤独なジョニーは、クリスマス休暇はいつも寄宿舎で過ごします。文を書くのが大好きで、劇のシナリオを担当しています。
元貴族の家の出のウーリは、自分が臆病者で勇気のないことに悩み、劇の練習の傍らで事件を起こします。博識で皮肉屋、いつも冷静な立ち回りができるゼバスティアン。腕っぷしが強くいつも腹ペコのマティアスは、正義感が強く友だち思いの心優しい少年として書かれます。
主な5人だけでもこの通り、それに「正義さん」「禁煙さん」と呼ばれる2人の大人も加わって、作り込まれたキャラクター設定が物語の世界にぐんと引き込んでくれます。
「8歳から80歳までの「子ども」たちへ」
境遇も性格も異なる少年たちの生活は、クリスマス前という特別感はあってもあくまでも日常で、同じドイツ文学で有名なミヒャエル・エンデの『果てしない物語』や『モモ』のようなファンタジーの要素はありません。
前述のように魅力ある登場人物に加え、少年たちの生活の細かな描写が読み手の想像力を掻き立てます。もともと子ども向けに書かれた作品ではありますが、素晴らしい児童文学は大人が読んでも面白いものです。
子どもと大人の境界線を引かずに楽しめる一冊
ケストナーは自作を、 「8歳から80歳までの「子ども」たちへ」 向けて書いていると語りました。
執筆に取り掛かる様子をエッセイのようにたっぷりと書いたまえがき(なんと、2つもあります!)には、子どもと大人の境界線を引かず、子どものころを忘れない大人でいてほしいというケストナーの思いが書かれています。もしこれまでに読んだことがあったとしても、読み返してみるとまた当時とは違った子どもたちに出会えるかもしれません。お子さんと一緒に手に取ってみてはいかがでしょうか。